中には、すでに健康的な標準体重なのに、「標準体重では太っているように感じる」と、さらに痩せようとする方もいます。
特に、摂食障害の人ほど「普通体型」を嫌悪し、「誰が見ても痩せているとわかる体型」を目指そうとします。
では、なぜ摂食障害になるほど痩せ体型に執着する人は、標準体重では満足できないのでしょうか。
異常な痩せ願望の裏にある、平凡恐怖
標準体重以下を目指す方は、体型をスリムにした先にある「綺麗だね、洋服が似合うね、モデルみたいだね」という評価を求めているように感じます。
つまり、痩せたい気持ちの裏には、認められたい気持ちがあります。
特に自己肯定感が低い方ほど、自分で自分のことを認められない代わりに承認欲求が高くなる傾向があり、「痩せて認められることによって、自分の価値を感じたい」と願っています。
そんな承認欲求の裏には、過度に「平凡」や「普通」を怖がる気持ちがあるように思います。
例えば、「標準体型は美しくない」「普通ランクの大学では意味がない」「平凡では物足りない」などと考えやすい印象です。
「特別に良い自分」に失敗すると、「特別に悪い自分」になる
逆に言うと、「特別な自分でありたい」という願いがあるのでしょう。その背景には、幼少期に親から条件付きの愛で育てられ、ありのままの自分を認めてもらえなかった経験があるケースが多く、努力家な子がほとんどです。
ただ、周りに認められるような「特別に良い自分」になることに失敗すると、「特別に悪い自分」になろうとします。それが痩せることに反映された結果が、摂食障害ですはないかと感じます。
病的に痩せて心配されることで、「特別感」を得ようとしたのですよね。
平凡な自分を受け入れるには
平凡恐怖を乗り越えるためには、世の中の基準や他者からの評価に頼るのではなく、普通の自分を許し、何者でもない自分を認められる心を育てていくことが大切です。
「何者でもない自分」を自覚できると、「自分以外の何者でもない」と、自分の価値に気づけるようになります。
それと同時に、「自分を大切に思っている人」に気づくことも大切です。
案外、自分が目を向けてない相手が、自分のことを大切に思っているものです。
これらは数字で測れるものではなく、心が通う交流から感じられることでしょう。
摂食障害になると、どうしても交友関係がおろそかになりがちです。
でも、「人付き合いが面倒臭い」と思っている一方で、心は孤独感でいっぱいなはずです。
人は社会的な生き物なので、たった1人でも「私と話してくれる人がいる」という経験ができると、それが心の支えになります。
体型の価値観はすぐに変えられないかもしれない。
でも、人とのつながりをつくる努力は、地道にしてみてもいいかもしれません。
すると、人とのつながりが心の拠り所となり、「痩せていなくても私は大丈夫」と思える心が育っていくでしょう。