摂食障害の多くの方が「愛されたい」と相談されます。
今回は「どうやったら愛を感じることができるのか」を考えてみたいと思います。
愛とは何か
まず、そもそも愛とはどんなものをさすのでしょうか。
愛とは、とっても抽象的な概念のように感じます。
私が以前、愛を深く考えるきっかけになった本がこちら。
「愛するということ」
この本には「愛は技術であり、学ぶことができる」と書かれています。
さらに、「愛とは、孤独である人間が、孤独を癒そうとする営みであり、愛こそがより幸福に生きるための最高の技術である」と書かれています。
つまり、愛はスキルであるので、誰でも愛を習得することができます。
そう思うと愛を感じて生きるには、どんな過去があろうと、愛された経験がなかろうと、関係ない。
誰でも愛し、愛される存在になり得る可能性があるのです。
愛することが、愛されることよりも先
私が「愛」について答えが出たのは、結婚を考えるようになった時。
「この人を愛したい」と覚悟を決めたら、一気に心が安定したんですよね。
その時思ったのが、愛されたいと願うよりも、愛せるものが見つかった時、人は幸せを感じるということ。
つまり、自分から愛することが、愛されることよりも先なんです。
愛って一種の覚悟。
この人を愛そう、と決めた途端に、たとえその人に何度裏切られても、その時は苦しくても愛し続けられること。
愛されたいから愛するのではなく、愛したいから愛するのです。
恋は自分が愛されるためにするものだけど、愛は自分が愛することから始まるもので
自分が愛している限り一生続くものだと思います。
身の回りの、愛するものを探すことから始めよう
どうしても私たちは、「愛される技術」についてはいつも考えているけれど、「愛すること」は後回しで考えがち。
しかし、愛することは自発的なものなので、理論的には難しいことではありません。難しいと感じるのは、裏切られても愛せるという覚悟が必要だから。
ただ、誰でも、いきなり愛したいものは見つかりません。
しかし、「愛する」というとたいそうなことに聞こえますが、何を大切にしたいかだと思います。
家族でもいいし、友達でもいいし、後輩でもいい。仕事や趣味、ものでもいい。
自分が大切にしたいものを大切にすることで、それに愛着を持てるようになり、好きになり、愛せるようになるのでしょう。
まずは大切なもの、好きなものを増やすことからはじめてみてください。
自分が何が好きで、どんなものに囲まれて生きたくて、何に時間やお金を注いで生きたいかを考えてみるといいかもしれません。
愛は技術です。自分から愛せば、誰にでも手にできるものです。
愛に満ちた状態とは
「愛とは、自然と涙が流れること。」と聞いたことがあります。
悲しくもなく、嬉しくもなくそのような感情を抜きにして、自然と涙が溢れるという経験。きっと繊細な摂食障害の方は一度は経験したことがあるかもしれません。
私は克服する過程で、30カ国くらいに行ったのですが、そこで理由もなく、ただただ1人で涙することがありました。
ほとんどが一人旅だったのですが、寂しいとか、心細いとか、そういう気持ちではなく「満たされて溢れた」涙でした。
一番覚えているのは、バルト海の船の上で360度夕焼けに囲まれた時。
刻々と世界の色が変わっていくのを1人でポツンと見ていたら、涙があふれました。
私はダメダメな人間だし、醜いところもあるけど、
美しいものに感動できる心がある自分もいいなと思えたんですよね。
「自分の幸せは自分できめる」じゃないけれど
心が満たされる基準は誰かに与えられるものではないんだよね。
私は「1人でもこんなに幸せを感じられるのだから、
この先ずっと幸せに生きていける」という確信を、この景色をみながら感じていました。
多分、この状態、つまり理由もなく泣ける状態は、とっても愛に溢れているものだと思います。
(抽象的でわかりにくいかもしれませんが、治る過程であなたもきっとこういう経験をすることになる可能性があると思います。)