この記事が公開されているのは1/3だと思いますが、
(私はその頃、宮崎から岩手の祖母の家に帰省しているはず)
みなさんはどんなお正月をすごされていたでしょうか。
きっと苦しい人が多いのではないかな…と予想しているのですがどうでしょうか。
摂食障害さんにとって
年末年始ほど苦しい期間ってないですよね。
私も年末年始が一番キツくて、
家に家族がいて自由にリビングで過ごせない…という理由で休日は苦手でした。
(引きこもりから脱出した大学生の頃は、年末年始はバイトを入れてましたね)
そんな自分の苦しみとは裏腹に
SNSをひらけば同年代の友達は
みんな楽しそうな年末年始を送っていたりして
よけいに苦しくなりますよね。
自分だって、自由に好きなことを楽しみたいって
いつも以上に思う機会も多いと思います。
ただ、みなさん。
好きなことを楽しみたいのに、
そもそも、好きなことがわからない….
という状態ではないですか?
カウンセリングをしているとよく
「自分の好きなものがわかりません」
とお話しされる方が多いです。
ということで、今日は
好きなことがわからない原因、そして好きの見つけ方をお話しします。
好き<不安を解消するために時間を使っていた
私もかつて、自分の好きなことがわかりませんでした。
だから、勉強しかやることがありませんでした。
そして、勉強に限界を感じた時にであったのがダイエット。
勉強の代わりに、痩せることに集中した結果が、摂食障害でした。
ただ、勉強やダイエットが好きだったかというと、
好きだったというより、「不安を解消するためにやっていた」という感覚がありました。
だから、勉強や痩せるための努力をするほど
不安からは解放されるのに、
ずっと何かが満たされない感覚がありました。
そう、不満ばっかり溜まっていたんですよね。
自分はこんなに努力しているのに
自分はこんなに我慢しているのに
なんで幸せになれないの?
どうして頑張っていないあの人は、
あんなに楽しそうなの?
って、周りを妬んでばっかりでした。
みなさんはいかがでしょうか。
私たちが望むもの
みなさんも SNS で同年代の様子を見るたびに、「みんな楽しそう、いいな」と思うことはありますよね。
彼らはインフルエンサーでも社会的に注目される存在でも ない、ごくごく普通の一般人ですが、あなたには魅力的に映っているはずです。
それです。おそらく、私たちが欲しているのは。
つまり、私たちは「普通の日常を楽しむこと」を、潜在的に欲しているのです。
人は誰でも「自分の 好きなものを堂々と楽しみ、好きと表現したい」という欲求があります。
だから、楽しそうな日常を発 信する人に憧れ、ちょっぴり悔しい思いをするのでしょう。
しかし、あなたも自分の「好き」を優先していいのです。「好きだ」と言っていいのです。
自分の感性を信じて、好きなものを好きと表現していいのです。
好きがわからない背景
でも、好きなものを好きと言いづらいのはなぜでしょうか?
何か好きなことができても、
「これを好きだと言ってもお母さん否定しない?許してくれる?嫌わない?」
「みんなスゴいって思ってくれる?可愛いって思ってくれる?ブスって思われない?」
と、周りの顔色をうかがってしまうのはなぜでしょうか?
おそらく、摂食障害さんは周りの理想を優先するあまり、自分を押し殺して生きてきた優しい人です。
まわりの人を悲しませないために、
周りの人に許してもらえるような選択を
ずっと取ってきたんじゃないかな。
みなさんはんなぜ、好きなものがあっても、好きと言えなかったんだろう?
好きなものを選ぶ人生の先にあるもの
病気になる程に自分の好きなことを抑圧したということは、それくらい本当は好きなことがあったはずです。
つまり、あなたはすでに好きと感じられる感性を持っています。
私の指針に、「自分の好きで進んだ先には、好きな世界が待っている」という言葉があります。
好き で選んだ道の先には、同じような感性を持った人たちが待っており、その人たちは、あなたの好きなことを認めてくれる人です。
そんな好きで築きあげる関係は、精神的な幸福度がぐんと高く、その関係は 持続しやすいものです。
自分らしく生きるために必要なのは、
好きな人・モノ・コトです。
自分の好きで進んだ先には、心地いい世界が待っています。それが、「心のままに生きる」という持続可能な生き方だと思います。
「好き」を表現すると、心のままに生きられる
私は、摂食障害が治るとは「自分の心のままに生きられるようになること」だと思います。
周りの評価を気にしたり、周りの顔色を窺わずに、自分の気持ちを優先させて生きられるようになることです。
そして、この自分の心のままに生きる生き方とは、「好き」を表現することから始まります。
その「好き」を見つけるために必要なのが「本音に気づく力」です。
わたしのYouTubeや本でもよく話していますよね。
カウンセリングは、自分の本音に気づく場でもあり、自分の本音に従って生きることが回復につながります。
その本音を表現することが、自分自身の「好き・嫌い」を表現するということです。
嫌いだ と思うことからは距離を置き、好きなことに囲まれて生活する感覚で OK です。
本音を表現できるようになると、「自由になる」という感覚を得られるはずです。
つまり、人は自分を表現 できることが容易なほど、生きやすくなります。
話す、文章を書く、絵を描く、歌う、スポーツをする、 演奏する…なんでも良いです。
「自分を理解してほしい=表現したい」という内から湧き出る思いは、 「生きたい」というエネルギーに近いです。
だからこそ、「表現の幅を増やすこと」が、回復の一助になります。
私自身、自己表現の訓練をすることで回復し、それがスキルとなり、今ではコピーライターや デザイナーとしても仕事をしています。摂食障害克服の道のりは、表現する練習の過程とも言えます。
好きの見つけ方
とはいえ、表現する前段階の「自分の好きなものが見つからない」という方もいるはずです。
では、 どうやったら自分の好きなもの、興味を持てるものが見つかるのでしょうか。
一つの考え方として、「好き」は頭で考えるものではなく、行動して見つけるものです。
「なんかいい な・心地いいな・ときめくな・癒されるな・無理なく続けられるな」と感じられるものに出会ったら、 とりあえず試しに一定期間「好き」と決めて行動しつづけると、愛着が湧くものです。
「好き」と出会うために、心のおもむくままに知らない世界に足を踏み入れてもいいかもしれません。
例えば、とりあえず雑誌を読む→とりあえずそこに載っていたカフェに行ってみる→そのカフェに置 いてあった雑貨に興味を持つ→その雑貨のブランドを検索する→そのブランドが置いてある雑貨屋に 足を運ぶ…と、人はとりあえず行動したことから興味のアンテナを広げ、やってみたいことを見つけて いきます。初めは「とりあえず」でいいのです。それが、感性に従って生きるということです。
初めは興味が持てなくても、行動するうちに「もっと知りたい」と、次の行動力につながります。
そしてそれらにエネルギーをさく時間が増え、食事や体型から離れる時間が増え、摂食障害の出る幕がなくなっていきます。
前にも話したかな、わたしも摂食障害が治って今の生き方ができたのも、初めは「好きな気持ち」に従った行動からでした。
克服の過程で「パンを食べることが好き⇨パン屋巡りをする⇨自分でパンを作ってみる・パン屋でバイトをする→パン屋の看板を頼まれる⇨チョークアートを習いに行く⇨デザインすることに夢中になる→美術館に興味を持つ⇨パン屋巡りにあわせて、美術館巡りが趣味になる→現代アートにハマる→作家の心情について考えるのが好きになる…」
ということから、
最終的に「相手の悩みを整理することが得意」ということに気づき、大学では心理学科に進学しました。
ただ、やっぱり何かを作ることが好きで、クリエイティブの世界に憧れて、大学卒業後は心理職を目指さず、広告会社に入りました。
そこでは、コピーライターとデザイナーをしていたのですが、
コピーライターは、人の感情を言葉にする仕事ですし
デザイナーは、言葉を生かすデザインを考える仕事でした。
そこで、毎日コピー年鑑を写経するくらい、コピーとデザインが好きになりました。
そこで出会った
「仕事を聞かれて、会社名で答えるような奴には、負けない」
というコピーは、今でも私の心の支えです。
そして、言葉やデザインが好きな自分が、私らしさだなと感じるし、私らしい「病気の症状がいらない生き方」の要素になりました。今の仕事や生活すべてにつながっていきました。
初めは「パンが好き」という、摂食障害さんあるあるな状態だったのですが、そこから何か一つでも行動してみると、自分らしさが見つかるかもしれませんよね。
パンの写真を撮るでも、ブイログするでも、パンの絵を描くでも、なんでも良いと思います。
食事以外のことを無理に探さず、今は食事に興味があるなら、食事から派生して、好きを広げていけば良いか〜くらいの気持ちで、やってみると、気づかないうちに夢中になれるものに出会っていたりしますよ。
まとめ
はい、ということでまとめていきたいのですが、
まず、このお正月に時間がある人は
たった10分で良いのでちょっと興味のあることに時間を使ってみましょう。
もし、思い当たらない人は、本屋に行って、趣味系の雑誌のコーナーに行って、立ち読みしてください。
そして、興味がある雑誌を買ったり、そこに載っていたものを調べたりしてみましょう。
自分の「なんか良いな」という感覚を信じてみてくださいね。
その感覚は、正しいですから。
自分の感性を大切にしてくださいね。
他人の物差しで自分を測らないで、自分の感性を大切に生きてほしいなって思います。
そんな時間が、1分でも伸びるような一年になることを願ってます。