体験談26:震災中の過食嘔吐

h.私の体験談

▼拒食・計画的過食嘔吐(48kg→38kg)

19歳4月~20歳4月 (約1年)

この内容は完治した今でさえ

未だに傷の一つとなっていること。

カウンセラーさん以外の

誰にも言えてない内容です。

不快になったら申し訳ないのですが

これが摂食障害の怖さだと思うので

ここには事実を書こうと思います。

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幸せは3月1週目で終わった

4月からの進路も決まり

計画的過食嘔吐を除けば

割と精神状態は安定していた。

やはり、通う場所が決まるというのは

この上ない安心感につながった。

私には岩手に祖父母がいるのだが

3月12日に久々に会いに行く予定で

新幹線の切符を取っていた。

しかし、3月11日に大地震が来た。

311の、あの時。

3月11日のお昼頃から

私は過食嘔吐をしていた。

そして、吐いている時に地震がきた。

私の地域は震度5くらいだったのだが

私は吐いていたので殺気立っていて

それでも便器に顔を向けていた。

しかし、立ってられないほどの揺れに

私は吐くことを中断した。

もしかしたら、

「パートに出ている母が帰ってくるかも」

と直感で思い、

ゴミや食器で荒れた部屋を片付けた。

そして片付け終わり

私はまたトイレにこもって吐こうとした。

しかし、途中で母が帰ってきた。

「最悪、吐けないじゃん」

軽くパニックになりながら

私は帰ってきた母に不機嫌な態度をとった。

その頃、何が起きているかもわからなかった。

吐き残した罪悪感の方が強かった

2000kcalくらい吐き残したまま

私は母とテレビをつけた。

そこには、東北の様子が映されていた。

母は岩手に住む祖父母や

宮城に住む親戚たちに電話をしたが

つながらなかった。

みんなのことが心配だったが

私は胃の中の不快感が気持ち悪くて

そっちの罪悪感でいっぱいだった。

しかし、停電もおき

トイレの水が流れなくなるのも怖かったので

吐くことは諦めた。

ただただ、この瞬間さえ

太ることが怖かった。

当然、翌日に控えた

岩手への帰省はキャンセルした。

翌日以降にわかったのだが

幸いにも東北の親戚に負傷者はゼロ。

しかしその後、父の友人らが

亡くなってしまったと聞いた。

カウンセラーさんに初めて打ち明けた

震災の3日後、たまたま通院の日だった。

私はカウンセラーさんに

泣きながら一連の行為を伝えた。

やっと声に出せたことで

少し心の荷がおりた。

私はその日以来

いつ地震がくるかもわからなかったので

大学入学まで自然と過食嘔吐が減った。

死ぬことより太ることの方が怖い

この出来事から、

摂食障害は死ぬことよりも

太ることが怖い病気だということを実感した。

確かに、拒食のころって

「食べるくらいなら死にたい」

と思っていた。

多分、近しい人が悲しもうと

病気に犯されている限り

私たちのやせ願望は消えない。

だから、恐ろしい病気なんだと思う。

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