「太ると、自分の価値がなくなる」
「太った自分は、価値がない」
という声をよく聞きます。
うんうん。私も摂食障害の頃、同じように思っていたからわかります。
しかし、果たして、
痩せていることは、そんなに価値が高いのでしょうか。
痩せていると価値が高い世界
では、痩せていると価値が高くなる世界とはどんなものでしょうか。
・モデルなど、人前に立つ職業
・痩せた人が好みの異性
・細身のファッションを着こなすことが正義
きっと、この三つの世界では、確かに痩せている方が価値が高いかもしれません。
ただ、この三つの視点以外の世界では、痩せていることってそんなに価値が高いとも言えないんですよね。
しかも、人の価値観はそれぞれだからね、痩せているからと言って、やせが賞賛される世界でも、全員が賞賛するわけではありません。痩せている人を苦手と感じる人もいます。
そして、この三つの視点がまったくない世界で生きていくことも可能ですし、多くの人がその視点で生きています。
痩せていることより、価値の高いもの
では、痩せていることよりも価値の高い世界では、何が重要視されていると思いますか?
世間一般的に、価値の高いものとされているのは「健康」だと思います。
健康であることって、実はものすごく価値が高いんですよね。
だって、学校や職場では、健康診断をうけますよね?
それは、人権として、そして、社会が健康を重要視しているからです。
「低体重じゃないと、私の価値はない」と話さされる方がいますが、むしろ逆です。
低体重より、健康体のほうが、価値がありますからね!
そりゃ、自分にとっての価値観で考えればそう思ってしまっても仕方がないと思います。
ただ、周りから見れば、健康の方が価値が高いですから。
たとえ、過食で拒食の頃より体重が増えてしまっても、それで健康であるならば、私は価値は上がったと思っていいと思います。
そもそも、人の価値って簡単に測れるものではないですから、価値を意識する時点でナンセンスだと思います。
ただ、もし「痩せていれば、自分の価値が上がる」と思い込んでいたり、その考え方に縛られて苦しいと思っているのであれば、もう少し視野を広げて、「痩せていなくても、自分を生きる方法」を見つけていきましょうよ。
低体重時代より、健康体重を受け入れようとする「価値」
私、思うんですよ。
摂食障害、どのステージが一番偉いとか、大変とか、決められるものではないですけど、健康体重になって、それを受け入れようと葛藤する過程って、めっちゃ価値のあることだと思います。
向き合っている、その過程そのものが非常に意味あることであって、価値の高いものだと思うんですよね。
低体重時代ももちろん自分に向き合って大変だったと思う。
でも、標準体重になって「普通の人として見られる自分」を生きていく苦しみ(成長痛)こそ、本物の自分らしさを感じるために必要なんですよね。
それって、葛藤して、悩んでいる人だけが、獲得できる感覚だとも思います。
今、自分を受け入れられなくて悩んでいる人、たくさんいると思います。
でも、それは非常に意味あることで、価値あることだから、それを乗り越えたとき、自分は自分の納得できる人生を歩めているはず、と希望を持って信じてあげて欲しいなと思います。
そして、その葛藤が苦しくて先が見えない時は、一緒にあならたらしく生きられる道を考えていきましょう。