休学、中退、休職、退職
摂食障害になると
心がぽきっと折れて
学校や会社に行けなくなったり。
治療のために
泣く泣く休まなきゃいけないことって
出てきますよね。
そのせいで
社会のレールから外れた
挫折感を味わうかもしれません。
私も拒食で強制入院して
高校留年2回、さらに中退したときは
生きる意味を見失いました。
でも、あれから15年経って思うのは
人生のドロップアウトは
今の自分に悪影響を与えてないな。
むしろ、ドロップアウトした経験を
すごいといってもらえたり
頑張ったねっていってもらえたり
逆に評価されることもあるんですよね。
多くの人が歩む道ではないからこそ、希少価値が高い生き方かもしれません。
今日はそんな話をしたいと思います。
ドロップアウトという挑戦
中退や留年、休職をすると、まわりの同級生に置いて行かれた感覚があり、ものすごく不安になりますよね。
でも「行かない」って、ものすごく勇気ある挑戦だと思います。
だって、社会のレールから外れることって、自由に生きるってことだから。
1日のスケジュール、向かう方向、学ぶこと、すべて自分次第。
それってものすごく「頭を使うこと」なんですよね。
学校や会社に行ってしまえば
なにも考えなくても1日の時間割が決まっている。
でも、学校や会社に行かないということは
1日のスケジュールをすべて自分で決めなければならない。
それって未知の挑戦ですよね。
でも、悲しいことに誰もほめてくれないんですよね。
むしろ、心配ばかりされて、なんとなく居心地が悪くなる。
だから、自分の選択は間違っていたんじゃないかって思うから苦しいんですよね。
そう思うと、もし当事者のご家族が
これを読んでくださっているのであれば、
社会から外れる選択は勇気ある挑戦ですから
この状況を悲観しないでみてあげてほしいな。
また、「今日、この1日をどうやって過ごしたらいいかわからない」というのが日々の苦しみだと思うから、生活のスケジュールについて一緒にあれこれアイディアを出し合ってみるのも、支えになるかもしれません。
そして、心配ではなく、お子様の未来を信じてあげてほしいです。
社会のレールから外れる価値
では、社会のレールから外れる価値ってなんだろう?
って思うと、「自分に向き合うこと」にあると思います。
そうなんです、自分に向き合うことって
きっと同年代の人は受験や就活くらいしか「機会がない」んですよね。
だからこそ、嫌でも向き合わなければならない期間って、逆にチャンスでもあるよな〜と思います。
(当時はそうは思えなかったですが、こんなにも自分に向き合う機会ってないですよね)
自分と向き合うって漠然として難しいけど、
まずは自分の今までのことを振り返ることが多いと思います。
いろんなことを振り返ると、
自分のことを客観的にとらえて
あの頃の私は、強がっていた。
あの頃の私は、人をみくだしていた。
あの頃の私は、ウソが上手だった。
そんな気づきにうちのめされ、涙があふれることもあると思います。
そんな受け入れ難い自分に向き合わなければならない瞬間って、本当に苦しいと思います。
でも、そうやって過去の自分をぼんやり眺めて見ることが、自分を知ることにつながって、そこでやっと、自分を丸ごと受け入れていくスタートラインに立てるんだよね。
でも、あのときの自分は
そんなふうにしか生きる方法を知らなかっただけ。
それが自分の精一杯な生き方だったのかもしれない。
では、これからはどうやって生きていく?
って気づき、問い直す過程に、価値があるのだと思ってます。
ドロップアウトを乗り越えた先にある自信
ドロップアウトの価値は、それを乗り越える過程にあるというお話をしましたが、
その価値を感じられるのは、乗り越えた先なんですよね。
つまり、また再び社会とのつながりを持ち始めた時に、威力を発揮します。
まあ、乗り越えている最中はただただ苦しいことが多いから、それがいい経験とはなかなか思えないからね。
よく、「中退や休学していたことが、就活で不利になりそう」という相談を受けることがありますが、
私の経験からも、社会の流れとしても、逆に有利に働くなって感じています。
私は新卒で大手求人広告会社に就職したのですが
むしろ、ドロップアウトした経験を
「挫折を乗り越えた経験」ととらえてもらえ、
頑張ったねっていってもらえたり
「求人広告をつくるにはむしろその経験を活かせるよ!」
って言ってもらえたんですよね。
逆に評価されることが多くて驚きました。
あ、自分がドロップアウトした経験って
ネガティブな経験だと思っていたけれど、
逆にそれを乗り越えたら武器になるんだなって感じました。
そんな自分の生き様に個性のようなものを感じて、
それが自分らしさのような自信のようにも感じたんだよね。
多くの人が歩む道ではないからこそ、希少価値が高い生き方かもしれないって、自分の生き方を肯定できたんだよね。
私はよく「自信とは思い込みでしかない。自信は目に見えないからこそ、行動してきたその事実そのものを自信にしていくしかない」というお話をしますが、まさに克服の過程がそれなんだよね。
つまり、
社会のレールから外れて、
自分に向き合って、
自分なりの人生を見つけていく過程は
ものすごくひたすら行動行動行動の積み重ねなんだよね。
だから、その行動そのものが自信に変わるんだよね。
まとめ:ネガティブな経験こそ個性に変わる
ドロップアウトのような、ネガティブな経験ってどうしてもダメだと思われがち。
特に若ければ若いほど、そう思う傾向があると思います。
大学生くらいまでは、義務教育〜学生時代と、だいたいみんな同じような道を歩むから比較しやすいしね。
でも、回り道の経験こそ、他の人が経験できないような景色を見ることができ、自分を豊かにさせてくれることが多いです。
例えば、私は中退したからこそ、10代で30代の人たちの絵画教室に混ざって勉強したし、18歳でパン職人を目指して毎朝4時おきでバイトに明け暮れたし。それって、今振り返るとすごく面白い経験ですよね。ある意味、ネタがありすぎて自分の人生を語るとみんなに面白がってもらえます。
そして、ネガティブな経験に直面すると、
どうしても自分と向き合わざるを得ず、
さらに新しい生き方を模索して、新しい世界に足を踏み入れることも多いです。
だから、ネガティブな経験こそ、あなたを豊かにする材料になるんだよね。
他の人が経験していないということは、それだけで希少価値が高いということです。
人の人生と比べる必要はないけれど、
今の生き方に価値を感じないと思うのであれば、
ちょっと俯瞰してみてみると、意外と価値ある体験ですよ。
今は苦しいかもしれないけどね><